実行委員会の後、ランチ。
其の後、外郭団体、新聞社、県庁、市役所、など八ヶ所にチケット依頼。
担当者とか出てきた人によっては挨拶だけでチケットを預けることはしなかった。
そんなとこは、一箇所だけだったが。
とある団体で、私がチケットをいつもお願いしている所に持って行きそうだった。
その上、私達にそこのボランティアの申し込み用紙を委託された。
もちろん引き受けた。
新春女性名刺交換会で、上映会のチケットが、若干はけた。

初えびす名刺交換会で、さらにチケットが売れた。
持ち撒きをした。まだ暖かくて柔かい餅だった。
バルーン茶会
バルーン大会に内外から参加する選手の歓迎会の
会場の一廓に茶席のサービス。
「お運び」をしました。

和太鼓5人と笛2人のアトラクションを前のほうで見ていたら、「次はお客さんに出て来てもらいます。」
と、リーダー格の演者が言いました。
暫くして、御指名が私に来て舞台に上がりました。
左右には、ブロンドの女性が連れてこられて太鼓を叩きました。
地域の盆踊りで、太鼓を叩いていたのが役に立ちました。
というか、かなり、ノリノリで楽しく叩きました。
へ@バンとかして(笑
舞台から降りたら、お仲間の歓迎を受けました。
楽しかったのに、さらに嬉しい事でした。
Oた議員さんが「いろっぽかったよ〜。」と、手を握ってこられて、
Mおか屋の社長さんにも、何だか褒めていただいて、ラッキーでした。
おかたずけにも、せいが出ました。
でも、遅くまで掛かって普段着慣れない着物をびちっと着て、疲れました。

ウエルカムパーティーが終わって、また、お茶席についたら、
ベルギーの人や中国人アメリカ人が、「ゲイシャ!ゲイシャ!」と、
和服を見て騒いでいたのが可笑しかった。
タ@ヤデパート前での募金に、仲間とともに協力。
何の募金か知らないで行ったら、あしなが育英会だった。
呼び込みや襷や手荷物の管理は高校生のボランティア。

前回の赤い羽根募金では、知人数人に偶然見つかったが、今回は知らない人ばかり。
募金をしてくれる多くの方に綺麗な魂のオーラみたいな物を貰った。
バルーンのウエルカムパーティーでお茶席があるから、
着物を着てみた。
丁度、やま@ちさんが庭掃除に来ていたので、
最後に着物姿で対応した。
「綺麗に着られてますねー。ずっとねがめていたかー。」
と、言ってもらっていい気分。
天山CCから、家に帰り、筍を買って、
チンジャオロースと、肉じゃが、ミネストローネという、
三カ国国際料理(爆 を作って、お出かけ。

朝からゴルフのラウンド最中にMさんを乗せて来てという伝言が
Yかべさんから来ていたので、Mさんのお宅に向かう。
Mさんは早くから待っていて、黒を着ていたけど、ピンクに着替えて、
やっぱり派手かしら、着替えようかと思っていた矢先私が到着したのだそうな。
ピンクの小花プリントを散らしたドレスでした。

佐賀県で2番目にブラジルで成功なさったMねさんを囲む会。
ちなみに一番の成功者は佐賀県より広い農場をお持ちだそうだ。

フレンチレストランBンガで、23人のパーティー。
知事代行や、ロータリーメンバー(昔の隣人)ご夫妻と、その交換留学生、
通訳、県議、中国語の先生、オペラで一緒だったテノール、
SIメンバー、エルミタジューの会のメンバー。

Mねさんのお話は子育てが主だったと思う。
子供が、恵まれすぎると、かえって優秀に育ちにくい事例。
そうならないように、配慮が必要と言う事。

有明のコーラス隊の数人で、歓迎の佐賀県民の歌を歌った。
知事代行も一緒にお歌いになったのには感心した。
件名 : 上映会の映画選定について

財務資金調達委員会  各委員様

上映会の映画選定について、映画を皆さんから 1つ推薦していただきたいとお願いしておりました。
皆さんのご都合の良い日をメールください
☆その際に必ず一つ推薦作品を説明書と一緒にお持ちください。
私のほうに添付していただければこちらで用意します


メールが@やこさんから届いた。
社会的で、問題を提議する映画を捜さなくてはならない。

去年はダウン症の「八日目」 
その前は車いすバスケットボールを主題とした映画「ウィンイング・パス」
これは、エリンブロコビッチと競り合ったけど、ジュリアロバーツのファッションが
刺激的だという、訳の分からない事を言い出す人がいて、ボツ。
その前は元首相の細川護煕さんの奥様細川佳代子さんプロデュースの「エイブル」
その前は「老親」
去年は古@映画祭に行ったけど、その中から適当なのはなかったし、
http://diarynote.jp/d/17915/20040925.html
(古湯映画祭は面白い映画が沢山見れるから行きたいけど、
 筑後川フェスの初音あわせにかかる。)

  だれか、  いい映画を  教えて下さい !!
修正収支予算案審議会
SIの会議。
私が決算をしたのは事実ではありますが、細かい所を質問されても、
毎月の会計報告を引っ張り出して、ひっくり返さないと、
うろ覚えのままでは、答えられませんから、残念!

審議会修了後は、ティータイム。
どこかの美味しいパイ、鹿島の一葉といふ15葉ほどのお茶の葉入り煎餅、黒棒、高野のゼリー、
私にはコーヒーが運ばれた。
茶道教授の@倉さんには、立てだしのお抹茶。
「お湯が多すぎます。」と、ダメだしがあった。
皆なごやか。

昼食もご一緒にと言う数名で、チンリャンメンの@ャロームに決まり。

真っ先に着きたい。(あほっぽい)いい席とりたい。
で、交通規則遵守ギリギリで飛ばし、駐車はバックが得意、
「5〜6名です。」と、ヨシズが涼しげな、裏庭に面したボックスの良席げっと。
鼻の差で、お子様連れ夫婦2〜3組より早かったが、
私の連れがとろとろ運転か?なかなか来ない。
お子様連れのママさんが、私のいる席を指差したり、
お店にベビーカーを入れていいか聞いたりするのが
聞こえて、(あー大変なんだよなー譲ろうか?
それにしても、遅いなぁ。お茶はSet済みだけど)
と悶々としているうちに連れが到着。

きわどいところで、良席ゲットの件は二番手到着で、道路際で誘導していた
竹@さんのたれ込みで、皆に知れ渡る事となり、連携プレイ賞賛。
ってほどでもないか。

チンリャンメンSetは小鉢、サラダ、書き込みご飯、付きで
¥870 
S短大のボランティア活動を支援する為に、
クラブを立ち上げる式典の準備で、
T教授の研究室に集まって作業。

出席者の御土産に、籐のアヒル型籠にお菓子を詰めて
ラッピング班と、
シグマのピンをクリーム色と紺色のサテンリボンに
縫い付ける班に分かれた。

幼稚園の父兄のお仕事会を思い出しながら、
冗談を言いながら、作業に慣れて、
皆手際が良くなるのを、うれしがりながらやった。
総勢20人弱で、二つあわせて100ばかりの作業が
3時間弱で終わった。

研究室のマグネットのタグイがキティーちゃんで統一されていた。
結婚式や地元の祭りで人が足りないと電話が掛かって、
赤い羽根共同募金で街頭に立った。
黄色地に赤のイラストのハッピに募金箱を首からさげる。
そして、ワンワン吼える。(そんな気分がした。)
じゃなくて、オネガイシマス。と言う。
風船とビラとカットバンも手に持つ。
募金をしてくれた人に配る。
募金した後また来て、風船を持っていったオジサン。
子連れの家族、若い女性、いろんな人がいる。
募金犯罪者じゃないから、(日本にもいるのか?)
追いかけて強要はしません。
すると、あくまでも自分の意思でやって来る人に頭がさがる。

自分的に良い事もあった。

夫の水泳の仲間の30歳前半の女性が、
私を見つけて「頑張ってますね〜」と言いながら手を振る。
私も「@@さ〜ん♪」と声を掛けると、彼女は財布の中の
¥500、¥100数個と「これだけしかないけど。」と言いながら
¥5、¥1 数個を入れた。(なんか一生懸命)

以前水泳の宴会に乱入した時、酔った勢いで、
男性陣のバカ話に乗りすぎて、ハメをはずした。
翌々日、ジムで会った時、
40〜50歳代の女性陣とは楽しかったね。と、笑いあったのに、
彼女はかなりひいていた。
彼女が宴会に遅く来たせいもあるが、
普通に挨拶出来るまで、ひと月かかった。
だから、潔癖な彼女にちょっとイイトコ見せる事が出来たかな?

ビッグフット

2003年12月20日 社会活動
あしなが育英会を支援する会のクリスマスパーティーに参加した。
輪くぐり(早く全員がくぐったチームが勝ち)や
ジャンケンゲーム(負けたチームが輪に入って行き、足を外についたら負け)を
競い合い、
カントリーダンス(あややがCMで少しやっていた)のステップを習得した。
沖縄から参加の森田賢吾さんがエイサーを披露した。
伝統的なエイサーにロックを取り入れて、
地元のアーティストが作ったニューエイサーに乗っての演舞は
迫力があって、かっこよかった。
少し習ってみたが、かなりハードだった。
太鼓を持って踊るところは面浮流に似ていた。
SIのチケ売り等‥の付き合いで、教授らのお話を聞きに行ってまいりました。
来月までの土日、6回で終了する研修です。
終了証が貰えるらしい。

二講目は、占いや創世記(アダムとイヴ)に話が
脱線して、そっちが面白かった。
国連ハビタットアジア太平洋のN氏の講演。

ケニア、ナイロビでの生活は↑で、と聞いたとたん。
私の脳内に、例の芝生の庭にウエディング様式のプールが出現。
バナナツリーが林立するスペースが、焼きすぎレンガでしつらえたバーベキュースペースとコントラストをなして、、、

と、3秒ほど、講演が聞こえなくなった。

ケニアは“Porepore”Country=slowly slowry
は、いいとして、ジュネーブ生活もいいとして、
講演は、日本のJoin2Groupsという立場で国際化がどうあるべきか。
と、後の学生たちの討論につながっていった。

5ヶ国語をしゃべる国連職員、のところで、英語、フランス語に続く、スペイン語と、イタリア語は60%お互い分かるというのが、なぜか印象に残った。

学生たちの討論は、その子の個性が分かって、楽しかった。
サイレントオブザーバーなのに、言いたくて、もどかしかった。

審査の間、アトラクションで歌のうまい子がスマップを歌い、全員がバックで踊るなかに、かわいくて、ノリノリを見れて、手拍子も、ノリノリになってライブ気分。

高校生と、SIメンバーみやこさんと@石さんを乗せて、途中デリで夕食買って帰宅。

製本

2003年6月2日 社会活動
ユースフォーラムの参加者全員の原稿。
無理よねー、と言っていたら、佐世保がやっていた。
オネエサマクラブと協力して、作っちゃった。
英語もー、の声は却下。

作業はモンテの後、村岡で。
移動で人力うどんのスタミナうどん。
肉、ゴボ天、わかめ、月見、all入り
SI例会でミニ講演。
年とともにいらないものをそぎ落とし、
美しく歳を重ねた方。
エーブル上映の応援に見えたのだった。
私はウエルカム弾き語りをしました(^O^)

SI例会

2002年10月28日 社会活動
フアンダーガバナーデー。茶道具忘れた。MY茶碗で飲みたかった。
コーラス練習をKeyboard伴奏しながら棒振り試行錯誤。
来月の施設訪問はKeyboard伴奏しながらの歌唱を依頼された。
ハビタット研修参加者からカスピ海ヨーグルトの種を貰った。明朝、できる予定。

アジア女性フオーラム(とことん語ろうアジアの女性達)の司会の件で「ていねいに司会して貰って」と、言われたので、嬉しい。今日はオフ会はずれで、がっかりだけかと、思っていただけに。
構想は頼まれていたが、講演後のパネルディスカッションを纏めるのは頼まれていなかった。当日になっての急な要請。
司会者が最後の締めで参加者全員に意見質問を求めた。
すると、
山梨からの男性の発言に対するパネラー(中国人の若い女性の院生)の
『ドメスティックバイオレンスが起こる家庭は下層階級である。』
というとんでもない要旨にだれも、黙って意見を言わない。
促して、やっと女医のOさんが「女性は体力が男性に比べて
劣るので、家庭内ではどうしても女性が被害者になります。」
と、控えめながら、中国人とは異なる処を言ってくださった。
自分の怒りは正しいと確信した。
空気は確かによどんでいた。

まとめ役の私が、パネラーを頭ごなしに批判しても
いいのかと自問しながらも、たえきれず、私見を述べた。
「Xさんはまだ人生経験も浅い若い意見でした。
これからも、勉強を続けて行かれる事を望みます。」
と、言い、まだ続けて言おうとすると、
それをさえぎるように、美@子さんが締めた。
なんだか助かった!?
それ以上怒りを顕わにすると良くない!?

移動の車の中で、私達は、漫才コンビでいいのよ。
と、ねぎらって?くれた。

夜はシンガポールからの客の歓迎会。
メインゲストのイギリス人がカントリーロック調の歌を歌った。声量があり、リズム感が秀でていた。
プロかもしれない。
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後日、この院生は人の業績を自分のものにして、しかも
上の者に取り入る人物だ。という話を全く別のルートから聞いた。

SI例会

2002年7月22日 社会活動
たなばたの活動費、印刷費ととしょかんの分をニコニコ箱に寄付した。
ミュージックオブハートの上映会の後、例会。
H口元会長に次はIGUとの指示あり。
ハーブの食事後、例会。
誕生花は、ピンクのベコニア。
ラナンキュラスから、はや、一年。
この会もやっと慣れて来た。
美也子さんと二人で、
市議会の昼休みにめがけて、
「ミュージック.オブ.ハート」を売りに行った。
議員さん達のテンションや
議会の党割になっている部屋
委員会で活動している事
等など、行政を見学してきた。

その後、ワシントンホテルの和食¥870美味
それから、テニスを1時間程。
受賞者はエルミタージュ等招致の藤野栄介さんと
18歳の折り紙講師の夏秋あづささん
寄付金贈呈は
あしなが育英会(中尾朱美会長)と
スぺシャルオリンピックス
(知的障害者とともにスポーツを楽しみながら自立を支援する会)

  藤野さんには金額が少なすぎて、反って失礼かもしれないのに、
  「こんなつもりじゃなかったのに、知った顔が沢山、、、」と男泣きされた。

  あずささんは持病ながら、入院中にボランティアに習った折り紙に触発されて、
  公民館で子供たちに折り紙を教えている。

  あしなが育英会の自殺者遺児学生有志の作文は涙なくしては読めない。

  スペシャルオリンピックスのアスリートを探し出すのが困難。

受賞者が拍手で送り出された後、
代議士の会長のお言葉があった。

「なぜ、私達はわざわざ、こんな事をするのか。
考えてみました。
それは、じっとしていても、
上記のような人々を、知る事すら困難だから。」

自分の視野を広げるために、社会を知るために、情報を得る為に、やれる時にやれるだけでも、やっておこう。と思う。
(なんか違うな〜。と思いつつも)、今日は今日で、

『かんどうした』

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