シナリオ 被爆太郎伝説
2009年4月19日 読書
しばらく、日記を書いていなかった。
伊藤明彦氏が亡くなって、被爆者の声をWebにのせる活動をしている同級生からの、
情報をいただきながら、いつもは速攻で返信するのに、
あまりのことに、言葉が足りず書いても書いても、表現が稚拙に思われ、
それにお悔やみを返信することもなく、ずるずる時間がたち、多忙とは、
心が死ぬことと、実感しつつ、死んではいないと、いつかは書くと、
そのきっかけの本。
『何と言う伊藤氏のいきざまなのだろう。この純粋さはなんだろう?
何が駆り立て、何に傷つき、一生を賭したのか?』
アナウンサーとしても、的確な日本語をお使いになり、
ともすれば等閑にされがちなことまできちんと戻し、
正統こそ美しいと実感させられた場面がDVDに残っている。
以下、メールの引用にて お悔やみにかえたい。
(リンクは長崎新聞だけが繋がりました。4月19日現在)
伊藤明彦氏が亡くなって、被爆者の声をWebにのせる活動をしている同級生からの、
情報をいただきながら、いつもは速攻で返信するのに、
あまりのことに、言葉が足りず書いても書いても、表現が稚拙に思われ、
それにお悔やみを返信することもなく、ずるずる時間がたち、多忙とは、
心が死ぬことと、実感しつつ、死んではいないと、いつかは書くと、
そのきっかけの本。
『何と言う伊藤氏のいきざまなのだろう。この純粋さはなんだろう?
何が駆り立て、何に傷つき、一生を賭したのか?』
アナウンサーとしても、的確な日本語をお使いになり、
ともすれば等閑にされがちなことまできちんと戻し、
正統こそ美しいと実感させられた場面がDVDに残っている。
以下、メールの引用にて お悔やみにかえたい。
(リンクは長崎新聞だけが繋がりました。4月19日現在)
件名:被爆証言者の声 お悔やみ
差出人: F 送信日時: 2009年3月4日 18:14:14
伊藤明彦さんが、3月3日 午後8時34分、お亡くなりになりました。 風邪をこじらせて、肺炎で。ご入院さきの病院にて。前日にご入院とのことでした。お姉さま お二人に看取られて。最後まで、これからの被爆者取材に思いを馳せていらしたとか。 伊藤さんは、昨年秋より長崎に赴かれて、取材を続けていらっしゃいましたが、今年になり、体調が思わしくなく、いったん東京に戻っておられました。『暖かくなったら、また長崎に』 とか仰っていました。 生前より、献体の手続きをとっておられ、ごく近しい方々でお見送りの後、ご遺体は、献体に回ったそうです。よって、告別式などは行われないそうです。
件名:あるじのいないプリンター
差出人: 被爆者の声管理人F
送信日時: 2009年3月6日 14:37:15 1 つの添付ファイル Ito-san.jpg (65.1 KB)
被爆者の声 管理人 古川です。 伊藤さんの大きさゆえ、一昨日来、たくさんのメールを頂き、個々にご返事したり、新たにお伝えすることが困難な状況になっています。失礼は重々承知の上、bccにて送信させていただきます。ちぐはぐな部分もあろうと思いますが、、すみません。--------昨日(5日)、伊藤さんの部屋を訪ねてきました。 パソコンがついたままになっており、プリンターが『インク切れ』のサインを点滅させていました。そばには、印刷したての「被爆者の声を聞いてください」のチラシが、百枚ずつタテヨコ向きを変えて、およそ400枚重ね置かれていました。・・・夜中に印刷していた様子。 玄関には、伊藤さんが緊急搬出された後に届いた新しいプリンターの箱。もとからお持ちのプリンターは、家庭用で、量(枚数)を刷るには向きません。新しいプリンターは、白黒専用で印刷が速い業務用のタイプ。渋谷のお店から配達された物で、出荷日は3月2日。 チラシをたくさん印刷しようと思った伊藤さん。手持ちプリンターの「遅さ」にいらだち、速いプリンターを求めたのでしょう。入れ替わりに届いたプリンターが悲しいです。 『風邪気味』ということで、2月27日に近所の医院に受診。ネットで注文するほどのノウハウは持っていない伊藤さん。小康状態になったのか お店まで出かけたのでしょう。おそらく3月1日。3月1日には新宿に出かけていた、との説もありますが、いずれにしろ。 2日朝。『食事』の知らせに返事のないのを心配したホームの方が駆けつけたときには、意識も もうろうとした状態だったそうです。 実は、伊藤さん、街で印刷したチラシの在庫をたくさん持っているのです。2月20日、伊藤さんのリクエストでチラシの内容を少し手直ししました。言ってもしかたないことですが、以前のでも意図は十分通じたのに。 - -昨年11月のメール。 伊:「人生 先発・完投」とか。 この作業、たまたま「先発」で40年前始めました。 「完投」ということになるのかどうか判りませんが、 語ってくださる被爆者がいる限り、今しばらく試みてみます。 古:伊藤さんは、完投されて、延長中かも知れませんよ。- - 『うんにゃ、おいがもろうたとは努力賞ばい』。『作品賞じゃなかけん。』と語っていた伊藤さん。 それでもやはり、『伊藤さん、もう よかですばい。 あぁたはようやった』。と、声をかけてあげたいです。 - -一昨日来、新聞・電波メディアから多数の取材を受けました。 幾人の方から聞かれた質問。『今後、活動を引き継いでいかれますか?』私は、答えに窮しました。 『えぇ、故人の遺志を継いで・・・・』 否。そう簡単じゃないです。レベルが違いすぎます。薄っぺらな返答はできませんよ。。。 最近のビデオ取材を通して、伊藤さんがもっともやりたかったことは、『被爆者に英語で語ってもらった声』の世界発信。 膨大に残されたビデオ取材テープ。(一部の方に280名超とお伝えしましたが、正しくは326名まで メールのやり取りを見直し確認出来ました。) 幸い、私と伊藤さんが知り合った同時期に、知り合ったプロのビデオカメラマンの方がいます。難波稔典さんという方です。伊藤さんは、ゆくゆくは難波さんに手伝ってもらいながら、ビデオ編集をされるつもりでした。 テープの中から、英語による物を抽出し、(17名程度と聞いた憶えがあります。うろおぼえ)難波さんに編集して頂くことから始めたいと思います。 伊藤さんは、取材した直後に、内容を文字に起こし、『ここ』とマーキングされていたと聞いています。 (ほんと、マメなお人) 並行して、現在の「被爆者の声」に中国語字幕を付けるプロジェクトも、昨年から進行していました。諸事情により、ディスク9枚分の公開は難しくなりましたが、ディスク1~3(広島編)の完成を目指して頑張っていただくつもりです。この部分だけの公開でも、目的は十分達せられます。 個々のメールの返事にはなっていないです。ご了承のほど。 ------メディア各社のおくやみ報道
NHKhttp://www3.nhk.or.jp/news/k10014567951000.html#
読売新聞http://www.yomiuri.co.jp/national/obit/news/20090305-OYT1T00626.htm
毎日新聞http://mainichi.jp/select/person/news/20090305k0000e060073000c.html
日経ネットhttp://www.nikkei.co.jp/news/okuyami/20090305AS1G0501105032009.html NBChttp://www.nbc-nagasaki.co.jp/news/nbcnews.php
長崎新聞http://www.nagasaki-np.co.jp/f24/CN20090305/ob2009030501000279.shtml NHK広島http://www.nhk.or.jp/hiroshima/lnews/03.html
件名:NBCのサイトが正しく伝えています
差出人: 被爆者の声管理人F
送信日時: 2009年3月7日 8:44:10
多くのメディアが伊藤明彦さんの死去を伝えてくれていますが、誤記(著しくは毎日新聞、家族被爆死と。 抗議し訂正を申し込み済み)があったり、ニュアンスが違っていたりしますが、NBCさんは正確です。おそらく数日で消えるので、ご覧ください。
http://www2.nbc-nagasaki.co.jp/houdou/index.php?itemid=7034
NBCさん、以降は「平和と長崎」コーナーへ移すなど なるべく長~~~く残してください。
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