「終の住みか」は六麓荘町
2006年7月10日 家族・子育て
私達が、薬とかを持っていった日に神戸に行って留守だったので、
悪かったと言っていた母から、「もうすぐ佐賀に着く。」とメールを貰ったが、
テニスの試合中だったから、「待っててね。」と、メールしたけど、
帰ってしまった。
プリン、蛸の柔らか煮、カシューナッツの風雅巻き、
三越で買った聘珍樓 のお惣菜、がテーブルに置いてあった。
母が神戸にいったついでに、みちおばさま(私の大叔母)を
六麓荘町の 老人ホームに面会に行ったそうだ。
おばさまは、「やっとこの町の住人になれました。」
と、言ったそうだ。
大叔母の家は運転手の家が敷地内にある広い屋敷だったけど、
震災で、取り壊し、娘と息子に半分に分けた。
娘は、独身で働いているから、娘と住む家を建て、
息子も当然隣に住むと思っていたら、売り飛ばして、出て行ったとなげいた。
母に、これだから、早く財産分けしたらだめよ。と、諭したんですって。
芦屋にお泊りして、運転手さん付きで、奈良や京都まで、遊びに行ったものだ。
「ここは芦屋ではそうよくないの。川が近くて、駅も近いからそれが取り柄。」
と、言っていたおばさまは、昔から、いいなあと思っていた町にいると
思うことで、自らを慰めているんだな、、
単なる、口から出まかせの冗談!?
悪かったと言っていた母から、「もうすぐ佐賀に着く。」とメールを貰ったが、
テニスの試合中だったから、「待っててね。」と、メールしたけど、
帰ってしまった。
プリン、蛸の柔らか煮、カシューナッツの風雅巻き、
三越で買った聘珍樓 のお惣菜、がテーブルに置いてあった。
母が神戸にいったついでに、みちおばさま(私の大叔母)を
六麓荘町の 老人ホームに面会に行ったそうだ。
おばさまは、「やっとこの町の住人になれました。」
と、言ったそうだ。
大叔母の家は運転手の家が敷地内にある広い屋敷だったけど、
震災で、取り壊し、娘と息子に半分に分けた。
娘は、独身で働いているから、娘と住む家を建て、
息子も当然隣に住むと思っていたら、売り飛ばして、出て行ったとなげいた。
母に、これだから、早く財産分けしたらだめよ。と、諭したんですって。
芦屋にお泊りして、運転手さん付きで、奈良や京都まで、遊びに行ったものだ。
「ここは芦屋ではそうよくないの。川が近くて、駅も近いからそれが取り柄。」
と、言っていたおばさまは、昔から、いいなあと思っていた町にいると
思うことで、自らを慰めているんだな、、
単なる、口から出まかせの冗談!?
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