10歳以上年上とはいえ、早かった。
2005年5月2日 友達高校のの同級生のご主人が亡くなられ、
正午から告別式でした。
妹と参列しました。
お若い頃は小沢征爾から、絶賛されたトロンボーン奏者。
その後、指揮者。
甥のヴァイオリンの先生も列席されていて、
妹によると、地元音楽界の重鎮が名を連ねていたと言う事でした。
若い!T子さんが未亡人になられるには若すぎる。
会場からは「よめさん、わかかね。」と、囁き声。
妹曰く、「お姉さんや妹は美人だけど、、、あのひとは
童顔ねぇ。老けんねー。」
不謹慎ですが、私も(喪服姿にアップの髪。綺麗ーー!)
と、思いました。
三曲の賛美歌が力強く歌われ、
音楽家を送るのに相応しい式でした。
牧師様が「前夜式で集まった皆さんに
ある雰囲気が感じられる。それは音楽でした。」
と、おっしゃっていました。
また、「(一番若年の)ご長男(ひろきくん)が、棺に取りすがり、
ずっと泣いていた。」と、聞いた時は可哀想で、胸が詰まり、
405番「神ともにいまして、、」の三番に
“いつくしみひろき”と、あるところで、声が詰まりました。
405番はアゴーギグを効かせた某姉の伴奏で、
やってるな!と、気付き、
音楽に集中して全部を歌い尽くそうとしていたはずなのに。
(親父ギャグではありません。)
前列から献花があり、
全員か一人一人、棺に白いカーネーションを入れました。
ご主人のあまりの変わり果てた姿に、
あれ程体格の良かった方が、と、言葉をなくしました。
しっかりと看取られたであろう果ての御姿で、
神 の様で ありました。
葬儀委員長役のご主人の弟様が最後の挨拶をなさいました。
「T子さんはN饗演奏会にご主人を車椅子で連れて行かれ、
其の事も含め、大変感謝している。
三人のお子様も立派に育って、T子さんも立派で
なんの心配もいらない。」と。
「故人略歴」は ↓
正午から告別式でした。
妹と参列しました。
お若い頃は小沢征爾から、絶賛されたトロンボーン奏者。
その後、指揮者。
甥のヴァイオリンの先生も列席されていて、
妹によると、地元音楽界の重鎮が名を連ねていたと言う事でした。
若い!T子さんが未亡人になられるには若すぎる。
会場からは「よめさん、わかかね。」と、囁き声。
妹曰く、「お姉さんや妹は美人だけど、、、あのひとは
童顔ねぇ。老けんねー。」
不謹慎ですが、私も(喪服姿にアップの髪。綺麗ーー!)
と、思いました。
三曲の賛美歌が力強く歌われ、
音楽家を送るのに相応しい式でした。
牧師様が「前夜式で集まった皆さんに
ある雰囲気が感じられる。それは音楽でした。」
と、おっしゃっていました。
また、「(一番若年の)ご長男(ひろきくん)が、棺に取りすがり、
ずっと泣いていた。」と、聞いた時は可哀想で、胸が詰まり、
405番「神ともにいまして、、」の三番に
“いつくしみひろき”と、あるところで、声が詰まりました。
405番はアゴーギグを効かせた某姉の伴奏で、
やってるな!と、気付き、
音楽に集中して全部を歌い尽くそうとしていたはずなのに。
(親父ギャグではありません。)
前列から献花があり、
全員か一人一人、棺に白いカーネーションを入れました。
ご主人のあまりの変わり果てた姿に、
あれ程体格の良かった方が、と、言葉をなくしました。
しっかりと看取られたであろう果ての御姿で、
神 の様で ありました。
葬儀委員長役のご主人の弟様が最後の挨拶をなさいました。
「T子さんはN饗演奏会にご主人を車椅子で連れて行かれ、
其の事も含め、大変感謝している。
三人のお子様も立派に育って、T子さんも立派で
なんの心配もいらない。」と。
「故人略歴」は ↓
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