この日は、

SI@@認証25周年記念式典に出席した。

式典後、三笠宮寛仁親王殿下と大村幸弘氏の記念講演。

その後の祝典で、殿下に「名前をとってるね。」と、お声をかけられた。
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        ★三笠宮寛仁親王殿下の記念講演。

「なぜ、トルコのアナトリアか」
トルコ中央に位置するアナトリア高原は東西文化の文明の交流地点である。
この地の発掘調査により、世界史を再構築したい。
英米独仏には、150年に及ぶ考古学の歴史があるが、
日本は、18年である。
アナトリアのカマン・カレホユック遺跡の発掘調査によって、
英米独仏が、暗黒時代(紀元前3200〜2750)としてきた世界史に、
修正を加え、日本の国威を発揚させたい。
また、トルコと日本は明治天皇の時代にエルトゥールル号事件により、
親密となったという背景がある。
  http://ww4.enjoy.ne.jp/~hirokyoren/sub2.htm                  
 http://www.aikis.or.jp/~tashiro/kinki/introduce/intro.html#turkey
そのための、中近東文化センター設立に協力をと呼びかけられた。

 その後、
          ★大村幸弘氏の記念講演

遺跡は丘状  直径200〜300m 高さ10〜15m
これが、トルコのアナトリアに一万以上ある。

水のあるところに日干しレンガで積み上げた街ができる。
勢力が強い民族、あるいは、みずがでなくなった所の人々等が街を攻める。
日本には、和解がある。それは、どこにでも水があるから。
しかし、周りが砂漠の土地では、和解はありえない。
追い出すか、追い出されるかの歴史。
街が攻め込まれる時は、焼き払われる。
そして、その上に、新しい街が作られる。

1985年まで、アナトリアはドイツが発掘権を独占していた。
その中で、宮様が表に立って下さって、カマン・カレホユックをとれた。
キャンプとそれに隣接する日本庭園には、毎年三万人以上の
観光客が来ている。

欧米はブルドーザーで目的まで掘って、うえの遺跡は破壊される事が多い。
日本は、筆と刷毛で、丁寧に発掘する。
現地の人は、金の指輪やぞうけの印鑑等を、採りにやってきていると思っていた。
トルコでは、遺物を国外に持ち出すのを禁止している。
しかし、ブルドーザーによる盗掘は、あとをたたない。

遺物の管理を地元に任せた。しかし、倉庫が建てれない。
現地の人に調査発掘法をトレーニングする。
遺産の価値をわかってもらう。
(現状は、トレーニングした中で、優秀な子は医学部、工学部に行って、
 考古学にいく子は少ない。)


http://www.urban.ne.jp/home/hideoh29/hitokoto/0112/011215.htm

祝宴も後半になった頃
@@クラブの@籐さんから宮様へご挨拶に誘われた。
宮様は私のネームプレートの字に一字、宮様と同じ漢字を見つけられて、

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